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大野城市

ひんどの人柱と火の玉(山田)

更新日:2019年11月18日

今年もまた宮添井堰(みやぞえいぜき)は大洪水のため流されてしまいました。
山田村では、その修理のための話し合いが昨日から続いていますが、村人たちは疲れはててしまって、話し合いはなかなかまとまりません。その時誰言うとなく、「人柱をたてると壊れないというのに・・・」と言う声が出はじめました。しかし、生きたまま井堰の下に埋め込まれるのですから、自分から進んで人柱になろうと申し出る者はおりません。とうとう夜になって村人たちはみんな家に帰ってしまい、世話人だけ残ってまた相談を続けましたが、よい知恵は浮かんでこず、話は途切れがちになりました。

先程から黙ってみんなの話を聞いていた庄屋の甚兵衛(じんべえ)さんは最後の手段として人柱をたてることに決心しました。そして翌日の公役(くやく)(村民総出の共同作業)のときに、横縞(よこじま)の襟(えり)の着物を着ている者がいたら、その人を人柱にしようと世話人に申し渡しました。

ひんどの人柱と火の玉イラスト

夜が明けると、作業準備をして宮添井堰に集まるように、村中に連絡しましたので、手甲脚絆(てこうきゃはん)に身をつつみ、ほほかぶりに菅笠姿(すげがさすがた)の村人たちが、続々と集まって来ました。早速作業にかかりましたが、その中に横縞の襟の着物を着た人がいたのです。世話人たちは昨夜の庄屋さんの言葉どおり、その人の手足をとって井堰の下に埋め込んで、作業を完了させました。

作業が終わってホッとした村人たちは、笠をとって汗をふきながら、自分が人柱にならなかったことに安心し、生きながら埋められた人の不幸に同情して、そっと周囲を見まわしますと、庄屋甚兵衛さんの姿が見当たらないのです。急いでみんなを集めて探しましたが、庄屋さんはどこにもいませんでした。

自分の命を犠牲にして、みんなのために人柱になった庄屋さんに、村人たちは感謝の涙を流しこれからも力をあわせて仲良く助けあい、豊かな明るい村にすることを誓い合いました。

こうして完成した宮添井堰は、その後の大洪水にも壊されないで、田畑をうるおし、毎年豊作が続いて豊かな村になりました。

人柱が庄屋さんとも知らず、井堰の下に埋めるため、手足をとって運んでいた時、甚兵衛さんが着ていた羽織(はおり)の両袖がちぎれてとれたので、それから袖の無い羽織のことを、甚兵衛羽織と呼んで、庄屋甚兵衛さんの功績を、後の世に語り伝えたということです。

このことがあってから毎晩のように、宮添井堰を中心に御笠川の堤防(ていぼう)の上に、火の玉が出るようになりました。はじめは恐れていた村人たちも、きっと庄屋甚兵衛さんが火の玉となって、この井堰を見守っていてくださるのであろうと、あらためて甚兵衛さんの徳をたたえ、火の玉に向かって手を合わせて、感謝していたということです。

ひんどの人柱と火の玉イラスト

井堰とは?

井堰は農業用水を確保するために水量を調節する目的で造られました。川の水量が豊富であれば、水の入口を確保するだけで水を取り込むことができますが、水位が低くて水が引けないような場所や時期には、川の流れをせき止める物を置いて水位を高め、取水口から水路に自然と水が流れるような仕組みになっています。

宮添井堰は筒井・山田・金隈に水を送る役割を果たしています。金隈にはポンプを使って水を汲み上げ、田んぼを潤す水を送っています。

井堰の様子写真
井堰の様子<北田井堰(牛頸)>

石柱に水をせき止める板を渡した写真
みと板を渡した様子

ひんどの意味は?

宮添井堰は通称「ひんど」と言います。どういう字を書くのかわかりませんが、いつも水害に負ける貧しい土でできた井堰であったため、「貧土(ひんど)」というのでしょうか。また、火の玉となってまで守り続けた陣兵衛さんを、火の人と呼び、「火人(ひんど)」というようになったのでしょうか。

山田村の引越し

御笠の森周辺はこれまでの発掘調査で山田村と考えられています。江戸時代の終わりごろの地誌(ちし)である『筑前国続風土記拾遺(ちくぜんのくにぞくふどきしゅうい)』の山田村の項によれば「此村(このむら)昔は御笠の森辺(あたり)にあり、延宝(えんぽう)のころ(1673~1681年)今の地に移せり」とあります。発掘調査では17世紀後半の遺物が出てきていないことと、御笠の森のそばに位置することから移転前の山田村であることが分かっています。

山田村の移転にはさまざまな理由が考えられていますが、洪水による被害もその一つと考えられます。

下の写真は1999年の大雨の時の写真です。大野北小周辺や筒井では御笠川の氾濫により、浸水の被害が出ました。

大野北小学校前写真
大野北小学校前

御笠川下流から筒井橋を臨む写真
御笠川下流から筒井橋を臨む

宮添井堰の碑

大野北小の児童のイラストを使った民話記念碑ができました。除幕式は市長をはじめ山田区民、金隈水利組合の方々や大野北小児童の出席があり、盛大に行われました。

大野北小児童写真
宮添井堰の碑を囲んで(大野北小児童)

このページに関する問い合わせ先

教育部 ふるさと文化財課 啓発・整備担当
電話:092-558-2206
ファクス:092-558-2207
場所:大野城心のふるさと館1階
住所:〒816-0934 福岡県大野城市曙町3-8-3

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