大野城をあるく(クロガネ岩城門)
更新日:2019年10月21日
(広報「大野城」 平成25年6月15日号掲載)
城門の発見!
クロガネ岩城門は、野外音楽堂のすぐ北側に位置します。
百間石垣に下る道の左手にある土塁上を5分ほど進むと、土塁が切れた部分があります。数年前、この下の斜面に門の礎石が転がっているのが見つかり、これまで知られていなかった城門があるのではないかと言われていました。その内容を明らかにするため、九州歴史資料館が平成24年に発掘調査を行いました。
城門の調査と命名
発掘調査では、両側に石積みが見つかり、城門があることが分かりました。石積みは門の側壁と考えられ、高さは1.4から1.5メートル、幅は約4.3メートルです。8世紀後半から9世紀初頭の土器が出土したことから、このころまで城門は使われていたと考えられています。
また、江戸時代に描かれた『太宰府旧跡全図北』には「クロカ子(ね)岩 門ノ石スエ」とあり、発掘調査が行われた場所と一致すると考えられています。このことから、見つかった新たな城門に「クロガネ岩城門」と名前がつけられました。
クロガネ岩城門の様子
大野城の城門はいくつあった?
大野城では、元々門に使われた礎石が露出していたことなどから、太宰府口・水城口・坂本口・宇美口の4つの城門があることが知られていました。
平成15年、福岡地方を襲った集中豪雨により、大野城のあちこちで土砂崩れがおきました。この壊れた場所の復旧工事を行うために発掘調査したところ、新たに北石垣・小石垣・原口・観世音寺口の4つの城門が発見されました。クロガネ岩城門は、これに続く9番目の城門です。
たった10年間の調査で、門の数は4カ所から9カ所と倍以上あったことが分かり、古代の大野城の姿がまた一歩明らかになりました。
大野城を守り伝える
築城からまもなく1350年を迎える大野城。私たちは力を合わせ、これからも大切に守り、次の世代に伝えてゆかなければなりません。
そして50年後の築城1400年を迎えるころ、大野城を見上げる私たちの子どもや孫たちが、大野城を造った古代の人たちを想い、それを大切に守り伝えた人たちがいたことを知った時、大野城に新たな歴史が生まれるでしょう。
「大野城をあるく」は今回で終了します。
注:大野城跡へのアクセス方法は関連リンクを参照してください。
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