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大野城市
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大野ジョーと行く!古代山城大野城 (1)

更新日:2019年12月5日

大野城市の市名の由来となっている「大野城」は、大野城市・太宰府市・宇美町の3つの市町にまたがる巨大な朝鮮式山城です。
大野城がつくられたきっかけは、663年、朝鮮半島の南部にあった百済(くだら)という国を助けるために送られた日本の軍勢が、白村江(はくすきのえ)という所で唐(とう)・新羅(しらぎ)の連合軍と戦い、大敗北したことにはじまります。これに驚いた日本ではすぐにも唐・新羅軍の来襲があると考え、敗戦後数年のうちに各地に城を築き、防人(さきもり)を配置し、全国的な防衛体制を整えました。大野城もそれにともなって665年、佐賀県基山町にある基肄城(きいじょう)とともに九州の政務をつかさどる大宰府を中心とする防衛システムの一環として造られました。
今現在、大野城に当時の建物は残っていませんが、古代の山城の姿をほうふつとさせる見所がたくさん残っています。

 

(広報「大野城」 平成27年4月15日号掲載)

平成27年(2015年)、築造1350年を迎えた古代山城大野城を、PRキャラクターである大野ジョーくんと一緒にめぐります。
第1回目は、大野城の正門である太宰府口城門を紹介します。

正門!太宰府口城門

太宰府口城門は、大野城跡の南側にあります。発掘調査が行われ、2回建てかえられていることが分かりました。
初めは、地面を掘って柱を立て込む掘立柱式の城門でしたが、次の段階には礎石の上に柱を据える礎石式に変わり、さらに門の幅も狭くしています。今、現地に残されているのは最後の段階の門の姿で、2階建ての楼門と考えられています。門の幅は約5メートルで、大野城跡の中では最も大きな門です。
また、発掘調査では最初の掘立柱段階の門の柱が見つかりました。年輪で年代を判定する方法で調べてみたところ、648年以降に木が切られたことが分かりました。これは、『日本書紀』で出てくる大野城の築造年代に近いのですが、10年ほどさかのぼることから、その意味が論議されています。

  • 太宰府口城門に立つ大野ジョー
    ここが太宰府口城門だじょー!意外と広いじょー!
  • 礎石を指差している大野ジョー
    これが礎石で石を彫りこんでいるじょー

このページに関する問い合わせ先

地域創造部 心のふるさと館 文化財担当
電話:092-558-2206
ファクス:092-558-2207
場所:大野城心のふるさと館1階
住所:〒816-0934 福岡県大野城市曙町3-8-3

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