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大野城をあるく(主城原(しゅじょうばる)礎石群)

更新日:2019年12月05日

(広報「大野城」 平成25年5月15日号掲載)
主城原礎石群2

四王寺集落から北に登った小高い尾根の一帯を、主城原地区と呼んでいます。南北に伸びる尾根上の広い範囲に、1棟から数棟分の礎石建物跡が散在しています。

主城原地区の建物跡のイラスト

発掘調査の成果

主城原地区では、昭和50年代に福岡県教育委員会によって発掘調査が行われ、建て替えも含めて14棟の建物跡が確認されました。
大野城跡で確認される建物跡には、建物の外壁部分に柱を立てる「側柱(がわばしら)建物」(上図(4))と、碁盤に碁石を並べるような配置で柱を立てる「総柱(そうばしら)建物」((1)(3))があります。大半は3間×5間か3間×4間の礎石総柱建物((1))で、倉庫だったと考えられています。
主城原地区の発掘調査では、これ以外に(2)3間×9間の掘立総柱建物、(3)1間四方の掘立柱建物が各1棟、(4)3間×7間以上の掘立側柱建物2棟などの特殊な建物が確認されました。

建物の用途

(1)は大宰府跡の蔵司(くらつかさ)地区や基肄(きい)城跡・鞠智(きくち)城跡で同規格の礎石建物が発見されており、役所や古代山城のような重要な施設に建てられた倉庫のようです。(3)は櫓(やぐら)のような建物だったと推測されています。
(4)のような大型の側柱建物は、役所に関係する建物と考えられています。そのうち一棟は、調査成果から大野城跡で最古段階の建物とされており、実際に大野城跡で最も古い特徴をもった瓦が出土しています。

主城原地区の性格

この地区は南以外を深い谷に囲まれており、いくつかの建物跡からは土塁のある尾根筋や、北方の博多湾方面を見通すことができます。
また発掘調査によって、ほかの地区にはない構造・規模の建物が集中的に建てられていたことが明らかになりました。特に最古段階の役所風建物の存在は、この地区が大野城築城直後、最初に特別な役割を担った地区であった可能性を示しています。
大野城跡の建物が当時どのように使われていたかは、分からないことばかりです。皆さんもぜひ現地を訪れてみてください。礎石や立地を見ながら、古代の人々が大野城でどのように活動していたか、推理してみませんか?

(主城原(しゅじょうばる)礎石群)の地図

注:大野城跡へのアクセス方法は関連リンクを参照してください。

このページに関する問い合わせ先

教育部 ふるさと文化財課 啓発・整備担当
電話:092-558-2206
ファクス:092-558-2207
場所:大野城心のふるさと館1階
住所:〒816-0934 福岡県大野城市曙町3-8-3

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