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大野城市

御陵古墳群と三角縁神獣鏡

更新日:2019年8月19日

市内の古墳について紹介します。

古墳って何?

古墳とは古墳時代(3世紀中頃から7世紀)に造られた墳丘(マウンド状の盛土)があるお墓のことです。古墳の形は前方後円墳・円墳・方墳などがあり、直径10メートル以下のものから数百メートルを超えるものまであります。

古墳内部には遺体の埋葬施設があり、石を積んで造った石室が代表的です。地域や時代によりさまざまな形態や埋葬施設の古墳が造られました。

古墳の数は全国で10万基以上あるともいわれ、考古学の時代区分では古墳時代初頭・前期・中期・後期・終末期に区分しています。

中学校にあった古墳 御陵古墳群

御陵古墳群は御陵中学校建設に伴い調査しました。南北2つの丘の上で、合計14基の古墳を発見しました。ほとんどが3・4世紀(古墳時代初頭~前期)のもので、6世紀代まで古墳が造られました。埋葬施設としては木棺・石棺・土器棺などがあり多様です。副葬品として鉄剣・勾玉のほか、鏡の破片などが出土しました。

(伝)御陵古墳群出土の三角縁神獣鏡

御陵古墳群出土の三角縁神獣鏡の写真大野城心のふるさと館では、(伝)御陵古墳群出土の三角縁神獣鏡を展示しています。鏡が出土した古墳は不明ですが、過去に御陵古墳群周辺を調査した際に、全長40メートルほどの前方後円墳らしき痕跡が認められており、前方後円墳であったかもしれません。

三角縁神獣鏡は邪馬台国の女王・卑弥呼が中国皇帝から授かった鏡という説もあり、全国で500面以上が確認されています。大王陵級の前方後円墳や地方の有力古墳から出土することから、当時の有力者しか持つことのできないステータスシンボルであったことを示します。

鏡の裏面には、西王母・東王父といった神仙や霊獣をモチーフとした図像があります。東王父は東の蓬莱山、西王母は西の崑崙山に住む仙人で、いずれも古代中国の神仙思想を背景に不老不死の象徴として信仰されました。ところで、西王母を表現した絵画や図像には、しばしば桃が描かれていることがありますが、桃は中国では霊力・魔よけの力があると信じられていました。崑崙山には「蟠桃」という三千年に一度実をつける桃があり、この蟠桃が不老長寿の源と考えられていたようです。日本の昔話で、桃太郎が鬼を退治できたのは、桃の霊力のおかげだったのかもしれません。

御陵古墳群の三角縁神獣鏡は、古墳時代の初め頃、大和政権と関係を持った有力な集団がこの地にいたことを示し、福岡平野と筑紫平野や粕屋・筑豊方面を結ぶ交通の要衝である御陵周辺が重要な地であったことを物語ります。御陵古墳群を含む大野城市の東地区は、古墳時代中期の笹原古墳や後終末期の乙金古墳群など、古墳時代を通じて先進文物を受容し、個性的な古墳文化を形成していきます。三角縁神獣鏡はそのことを象徴する最初の資料といえるでしょう。

このページに関する問い合わせ先

教育部 ふるさと文化財課 啓発・整備担当
電話:092-558-2206
ファクス:092-558-2207
場所:大野城心のふるさと館1階
住所:〒816-0934 福岡県大野城市曙町3-8-3

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